刑事裁判の歴史と展望あれこれ💖

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しほうちゃれんじ 981

乙:Oh, I’ve been askin' for problems, problems, problems

出典:https://genius.com/Imagine-dragons-bad-liar-lyrics

感想:抽象的で難しい歌詞。

今日の問題は、辰巳短答憲民刑モーニングシャワー問題39です。

身寄りのない老人である債権者を殺害すれば債務の履行を免れ得ると考え重傷を負わせたが,殺害の目的を遂げなかった場合,債権者に債務の履行を免れさせる意思がない以上,強盗利得罪は成立しない。

甲先生、よろしくお願いします!

甲:最判昭和32年9月13日は

「 第三点は、判例違反及び法令違反を主張するところであり、所論のとおり大審院明治四三年(れ)第八五〇号同年六月一七日判決は、刑法二三六条二項の罪の成立するがためには犯人が他人に財産上作為又は不作為の処分を強制することを要し、債務の履行を免れる目的をもつて単に債権者を殺害するがごときは同罪をもつて論ずることを得ないものとしている。しかし、右二三六条二項の罪は一項の罪と同じく処罰すべきものと規定され、一項の罪とは不法利得と財物強取とを異にする外、その構成要素に何らの差異がなく、一項の罪におけると同じく相手方の反抗を抑圧すべき暴行、脅迫の手段を用いて財産上不法利得するをもつて足り、必ずしも相手方の意思による処分行為を強制することを要するものではない。犯人が債務の支払を免れる目的をもつて債権者に対しその反抗を抑圧すべき暴行、脅迫を加え、債権者をして支払の請求をしない旨を表示せしめて支払を免れた場合であると、右の手段により債権者をして事実上支払の請求をすることができない状態に陥らしめて支払を免れた場合であるとを問わず、ひとしく右二三六条二項の不法利得罪を構成するものと解すべきである。この意味において前示明治四三年判例は変更されるべきである(なお、大審院昭和六年(れ)第二四八号同年五月八日判決が、犯人において債務の支払を免れるため暴行の手段を用い債権者をしてその支払の請求をなすことを不能ならしめる状態に陥らしめたことをもつて、前示明治四三年判例のいわゆる他人に不作為による財産上の処分を強制したものに外ならない旨の附加説示をしている点は、強いて明治四三年判例との調和を図ろうとした説示という外はない)。
本件につき原判決の確定したところによれば、被告人は、大牟田市ab番地に居住する真言宗教師試補A(明治一九年三月一八日生)と信仰関係で知合の間柄で、同女が多額の金銭を貯えこれを他に融通しているところから、被告人自身も昭和二九年二月頃六万円、同年三月頃五万円、計一一万円を自己の営業費や家族の生計費等に資するため借り受けると共に、その頃同女の他人に対する貸金の斡旋取立等を委任されるに至つたが、交付を受けた金員について被告人がほとんど同女の手許までその返済をしなかつたため、被告人に対して不信をいだくようになつた同女から再三その返済方を督促され、これに対し被告人は、長崎県島原の実兄に依頼して預金がしてあり、それが三二〇万円位になつている旨虚言を弄していたが、同年六月一二日夜路傍で同女に出逢つた際にも強く返済方を迫られた上「もうこれ以上だますと警察や信者にばらす」といわれたので、被告人は「明日の晩全部支払うから待つてくれ」といつてその場をいいつくろつたものの、これが返済の手段がなかつたので、一面前記貸借につき証書もなくその内容は分明を欠き、また、他面同女が死亡すれば被告人以外にその詳細を知る者のないことに思をいたし、むしろ同女を殺害して債務の履行を免かれ以て財産上不法の利得を得ようと企図し、同女に対し「明晩金を渡すから芝居を観に行つて一幕早く帰つて来てくれ、家では人が来るといけないから何処かの家をかりてそこで支払うことにしよう」と申し向け、翌一三日夜被告人の言葉に従い観劇に行つた同市通町劇場「B」を一幕先に立ち出て被告人方に立ち寄つた同女と共に被告人方を出て、同市大字C水門より約八五米上流の人家がなく人通りの稀れな道路上に差しかかるや、同女の後部にまわり矢庭に所携の薪様の兇器をもつて同女の頭部等を殴打し、因て頭部、顔面等に多数の裂創挫創等を負わせ人事不省に陥らしめたが、同女が即死したものと軽信しそのままその場を立ち去つたので、同女の右創傷が被告人の意に反し致命傷に至らなかつたため殺害の目的を遂げなかつたというのであるから、被告人の右所為は、前示の法理に照し刑法二四〇条後段、二四三条、二三六条二項に該当し、強盗殺人未遂の罪責を負うべきこと勿論であるといわなければならない。されば、原判決は結局正当であつて、所論は理由がない。」

と、判示しています。


したがって、上記記述は、誤りです。